「タイは住みやすい」それってタイの住みやすいじゃなくてバンコクの住みやすさです。

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それってタイの住みやすいじゃなくてバンコクの住みやすさです。

「タイは住みやすい」なんて寝言、よくもまあ平然と吐けたものですね。

SNSのキラキラした投稿の裏側で、この手のセリフを聞くたびに私の古びた胃袋はキュッと酸を出す。
正確に言いなさい。
バンコクの、それも日本人が群れる極小エリアだけが、至れり尽くせりで楽ちんだ
そう言えばいいものを、さもタイ全土を理解したかのように語る厚顔無恥さ。
笑わせないでいただきたい。

彼らが愛しているのは、タイという国そのものではありません。
タイという安価な舞台装置の上で演じられる、「特権階級ごっこ」という名のファンタジー。
それだけなのです。

バンコクはタイの首都であり、経済、医療、交通のすべてがこの一点に集中する歪な一極集中都市だ。
特にスクンビット界隈のインフラは、もはや東京の利便性を凌駕している。
日本語が通じる病院、日本の味を忠実に再現した居酒屋、そして日本の三倍の価格がつけられた高級食パンを買い求める主婦たちの行列。
ここにあるのは「共生」などという美しい言葉ではなく、もっと切実で、もっと滑稽な「寄生」という構造である。

地方の土埃を知っていますか。
雨季の夕暮れ、膝まで浸かるドブ川の濁った水と、そこから立ち上る下水の臭いに鼻を突かれたことがありますか。
イサーンの荒野で、言葉が一切通じない絶望感に包まれ、孤独に震えながら屋台の得体の知れない肉を噛みしめたことがありますか。
そんな「現実」を何一つ知らない連中が、冷房の効きすぎたモールで「タイ最高!」と叫ぶ。
滑稽の極みですよ。

結局、彼らにとっての生活は、透明な檻の中での長期滞在に過ぎない。

駐在員という名の、期限付きの王様。
彼らは現地の社会に深く溶け込むことなど、端から考えてはいない。
日系のサービスという厚い防弾ガラスに守られ、一歩も外に出ることなく任期を終える。
タイ語を覚える必要もない。
スマホを数回タップすればデリバリーが届き、面倒な掃除や洗濯は月数千バーツで雇ったメイドがこなしてくれる。
それは「生活」という重みを持った営みではなく、ただの「ぬるま湯に浸かった停滞」ですね。

でも、それが人間というもの。
わざわざ苦労するために異国の地へやってくるような酔狂な奴なんて、そうはいません。
みんな、自分を騙しながら、この心地よいぬるま湯の中で皮膚がふやけていくのを待っている。
それがバンコクという魔窟が仕掛けた、もっとも甘美で残酷な罠なのです。

しかし、その「楽さ」に甘んじて牙を抜かれたとき、ふと鏡に映る自分の顔の空虚さに気づく瞬間が必ず来る。
私はここで、一体何者なのだ?
日本という厳しい現実から逃避し、タイという楽園で特権を貪る自分。
任期が終われば、またあの満員電車の歯車に戻らなければならないという恐怖。
その恐怖を紛らわせるために、また今日も高い金を払って「日本の味」を胃袋に流し込む。
切ない話だとは思いませんか。

隔離された楽園を享受するのは、大いに結構。
せっかくの人生、楽をして何が悪い。
だが、もしあなたが本当の意味でこの街に「住む」ことを望むなら。
たまには高級モールの自動ドアを出て、薄暗い路地裏で必死に生きるドブネズミと目を合わせてみるくらいの野蛮さを持ち合わせていただきたい。
その一瞬の不快感こそが、あなたがまだ「生きている」ことを証明する唯一の砥石になるのだから。

牙を失い、ただの「滞在者」としてふやけていくのか。
それとも、このカオスを飲み込んで、したたかに自分の足で立つのか。
どちらを選ぶも自由ですが、私は後者のような、少し泥臭い連中と酒を飲みたいものです。

この記事が貴殿の気持ちに響いたら何かコメントをよろしく。

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