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政府対応が「パフォーマンス」で終わってしまう理由
バンコクで暮らしていると、建設現場の事故は、もはや「特別なニュース」というより、日常の延長にある出来事のように感じられる。
2026年に入ってからも、重い事故が続いた。高速鉄道工事でのクレーン転落、ラマ2世通りでの高架崩落。いずれも大手建設会社であるイタリアン・タイ・デベロップメント(ITD)が関わる現場だった。
事故が起きるたびに、政府は「厳しい措置を取る」「ブラックリスト化を検討する」といった強い言葉を並べる。だが、長くバンコクに住んでいると、こうした反応は毎回の“儀式”のようにも見えてしまう。
市民の怒りを一時的に鎮める言葉は出る。
しかし、制度の根本はほとんど変わらない。
なぜ同じことが繰り返されるのか。
理由は単純だ。
この国の建設行政は、事故が起きても回り続けるようにできているからだ。
大手を本気で外せない事情
巨大インフラを請け負える企業は、そもそも限られている。
高速鉄道、空港、港湾、ランドブリッジ。こうした国家規模の事業を同時に進めるには、ITDのような大手建設会社を完全に外すことは現実的に難しい。
そのため、政府がどれだけ厳しい言葉を使っても、最終的には「例外措置」や「条件付き復帰」によって、工事は継続されることが多い。
つまり、表向きには厳罰を示しながら、実務では継続する。
この二段構えが、すでに制度の中に組み込まれている。
多重下請けの奥で、現場が見えなくなる
タイの建設現場は、一次下請け、二次下請け、三次下請けと、下請け構造が深い。
実際に現場で作業しているのは、最下層に近い小規模業者や外国人労働者であることも少なくない。そこまで安全教育や監督が十分に届いているとは言いがたい。
元請け企業が立派な安全マニュアルを掲げていても、それが現場の末端まで機能していなければ意味がない。紙の上では安全でも、足場の上ではそうではない。
この構造が変わらない限り、事故が起きても責任の所在はあいまいなままになる。
そして、同じような事故がまた繰り返される。
事故調査が業界全体の学習につながらない
本来、重大事故が起きたときに必要なのは、責任者を探すことだけではない。
なぜ事故が起きたのかを徹底的に調べ、同じ事故を防ぐ仕組みに変えていくことだ。
しかしタイでは、事故調査が「その現場だけの問題」として処理されやすい。原因が業界全体で共有され、制度改善につながっていく仕組みはまだ弱い。
そのため、個別の現場では処分や注意喚起が行われても、業界全体の学習にはなりにくい。
結果として、同じ原因による事故が何度も起きる。
安全は「コスト」と見なされやすい
公共事業の入札では、今も価格競争が大きな意味を持っている。
安全対策にどれだけ投資しているか。
現場教育にどれだけ人と時間を割いているか。
下請けまで安全管理が届いているか。
本来なら、こうした点がもっと評価されるべきだ。
しかし実際には、安全投資は入札で十分に評価されにくく、企業側の努力や善意に依存しがちだ。
さらに、財務状況が悪化した企業ほど、真っ先に削られるのは安全管理である。
つまり、制度そのものが「安全よりコスト」を選びやすい方向に傾いている。
結論:事故は「なくならない」のではない
政府がどれだけ強い言葉を並べても、次の構造が変わらない限り、重大事故は続くだろう。
大手を簡単には外せない構造。
多重下請けによって現場が見えなくなる仕組み。
事故調査が制度改善につながりにくい状況。
そして、安全より価格が優先されやすい入札制度。
これらがそのままであれば、事故は個別の不幸ではなく、制度が生み出す結果になる。
バンコクで暮らす人が「またか」と感じるのは、単なる無関心ではない。
何度も同じ光景を見てきたからだ。
そして、その背後にある構造を肌で知っているからでもある。
バンコクは魅力的な街だ。
だが、そのインフラの裏側には、幾重にも重なった複雑な層がある。
その層を見ないまま、「ブラックリスト化だ」「厳罰だ」と叫んでも、現場の鉄骨一本すら動かない。
事故は、なくならないのではない。
なくならないように、この街はできている。




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