安さの殿堂が“高級スーパー”に化けた日

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――ドンドンドンキ・バンカピ撤退の教訓

深夜のドンキで、カップ麺や激安のお菓子を抱えてレジに並んだ記憶を持つ人は多いだろう。雑多に積み上げられた商品、やたらと耳に残るテーマソング、そして「安さの殿堂」という看板。日本のドン・キホーテは、安さとカオスを武器に、消費者の欲望をすくい取ってきた。そこには「ブランド」や「高級感」といった言葉とは無縁の、庶民的で猥雑な魅力があった。

ところが、その「ドンキ」がバンコクに登場したとき、そこにあったのは“安さ”でも“カオス”でもなかった。2023年11月に華々しくオープンした「ドンドンドンキ・バンカピ店」は、わずか1年半で撤退する。閉店日は2025年5月12日。立地は東部バンコク最大級の商業施設「ザ・モール・ライフストア・バンカピ」。モノレールや運河ボートからのアクセスも良く、条件は申し分なかった。にもかかわらず、なぜこれほど早く幕を下ろすことになったのか。


日本人が知る「ドンキ」とは別物だった

日本でのドンキは、深夜営業と安売りの象徴だ。学生やサラリーマンが夜中に立ち寄り、思わぬ掘り出し物を見つける。そこには「ブランド」よりも「安さ」と「混沌」があった。だが、バンコクに現れたドンキは、整然とした売り場に日本食材やスイーツを並べる“日本ブランドショップ”に近かった。

価格を見れば、フジスーパーやローカル市場より高い。日本人駐在員からすれば「これならフジで十分」。タイ人にとっては「日本ブランド=高級」というイメージはあるものの、日常的に買うには割高すぎる。結果、どちらの層にも刺さらず、中途半端な存在になった。


「ブランド頼み」の戦略が空回り

ドンキは「日本ブランド」を前面に押し出した。だが、それはタイ市場では武器にならなかった。むしろ「高いのに特別感がない」という逆効果を生んだ。安さを封印したドンキは、ただの“日本風スーパー”に成り下がり、モールの中で埋没した。

「安さの殿堂」が「価格の迷宮」に変わった瞬間である。


景気とコストの逆風

もちろん外部要因もある。タイ全体で人件費や輸入コストが上昇し、円安によって日本からの輸入品は割高になった。消費者が財布の紐を締める中で、「高い日本ブランド」は真っ先に切り捨てられる。

だが、これは言い訳にはならない。なぜなら、同じ環境下でもローカルスーパーや他の日系チェーンは生き残っているからだ。問題は「何を武器に戦うか」を見誤ったことに尽きる。


提携戦略の限界

ザ・モール・グループというタイ有数のモール運営会社と組んだにもかかわらず、その集客力を活かしきれなかった。結局、モールの中の一テナントに過ぎず、独自色を出せなかった。日本での「ドンキ体験」を輸出するのではなく、「日本ブランドのスーパー」として無難に収まってしまったのが致命的だった。


撤退が突きつける現実

この撤退劇が示すのはシンプルだ。
「日本での常識」は、海外では通用しない。

「日本ブランドだから売れる」という幻想にすがった結果、現地の生活者のリアルに背を向けた。タイの消費者は、価格に敏感で、実用性を重視する。ブランドの看板だけでは財布を開かない。


皮肉な結末

結局、ドンキがタイで証明したのは「安さの殿堂は、安さを失えばただの箱」という事実だ。ブランドの魔力よりも、生活者の現実が勝った。そしてその現実は、これから海外に出ていく日本企業すべてに突きつけられる冷酷な教訓でもある。

「安さの殿堂」が“高級スーパー”に化けた皮肉。そこにあるのは、海外展開における日本企業の慢心と、現地消費者を見誤った戦略の失敗だ。


結び

ドンキの撤退は、単なる一店舗の閉店ではない。これは「日本ブランドの幻想」が崩れた象徴的な出来事だ。海外で成功するには、日本での成功体験をそのまま持ち込むのではなく、現地の生活者の目線に立ち、彼らが本当に求めるものを提供しなければならない。

ドンキが失ったのは「安さ」ではなく、「現実を見る目」だったのかもしれない。

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