バンコク0.67の絶望:「微笑みの国」が「子なしの国」へ変わる日

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「微笑みの国」が「子なしの国」へ変わる日

タイの少子化が深刻だという。ニュースでは「合計特殊出生率1.21」などと、いかにももっともらしい数字が踊っている。だが、統計というやつはビキニと同じだ。肝心なところを隠してやがる。この国を「タイ」という一つの言葉で括るのは、もう無理があるのかもしれませんね。

現実を直視してみろ。バンコクと地方では、もはや別の重力が働いているのだ。

1. 0.67という断末魔

2020年から2022年の数字を見て、私は乾いた笑いが出た。バンコクの出生率は0.67。あの「少子化本家」の韓国ですら0.7台だというのに、この街はそれを軽々と下回ってしまった。一方で、南部のパッターニーあたりは2.0を維持している。同じ空の下で、片や絶滅に向かい、片や子宝に恵まれる。この歪な二重構造こそが、今のタイの正体なのです。

バンコクの若者にとって、子供は「希望」ではなく「負債」になった。
30平米の、鶏小屋のようなコンドミニアム。
朝から晩まで渋滞に揉まれ、手にする給料は物価上昇に追いつかない。
そんな場所で、誰が次の世代を育てようなんて贅沢を思い描けますか?

2. インター校という名の「家一軒」

なぜバンコクがここまで冷え切ったのか。理由は簡単、コストだ。
共働きは当たり前。夜9時に疲れ果てて帰宅し、デリバリーのパッタイを啜る毎日に、育児の余地などない。
「子供一人育てるのは、家を一本建てるのと同じだ」
そんな格言が冗談抜きで囁かれている。インターナショナルスクールに入れようものなら、年間100万バーツが飛んでいく。見栄と教育熱が、若者たちの生殖本能を綺麗に削ぎ落としてしまったわけです。

2023年の調査では、4割以上の人間が「経済的不安」を理由に子供を拒絶している。賢明な判断だ、と私は思う。自分たちの老後さえ霧の中なのに、他人の人生まで背負い込めるはずがない。

3. 消えた「末娘」という幻想

かつてタイの老後を支えていたのは「末娘」だった。
息子は嫁の家に行き、末の娘が親と同居して最期を看取る。それがこの国の美しい伝統だったはずだ。数字の上でも、高齢者と同居するのは息子より娘の方が圧倒的に多い。

だが、そのモデルは音を立てて崩れている。
地方の村に残されたのは、足腰の立たなくなった老人と、野良犬だけだ。
娘たちはバンコクのエアコンの効いたオフィスや、あるいは海外へと出稼ぎに出ていく。実家に残る「末娘」なんてものは、今や絶滅危惧種なのです。地方の出生率も1.3まで落ち込み、10年後には「同居したくても、子供が物理的に存在しない」という地獄が完成する。

4. 仕送りという名の「蜃気楼」

2040年、タイは3人に1人が高齢者になる。
バンコクでは、現役世代1人が高齢者1人を背負う計算だ。恐ろしいのは、地方の高齢者が「子供からの仕送り」に依存している事実である。

仕送り文化が消える順番は、もう見えている。
まずはバンコクの若者が、親への送金を止めるだろう。自分の生活で手一杯だからだ。
次に、地方の空洞化が進み、独居老人が急増する。
最後に、国が配る月600バーツ程度の雀の涙ほどの年金を巡って、不満が爆発する。
それが、私たちが向かっている未来の景色です。

結末:砂上の楼閣で踊る

日本は30年かけてゆっくりと老いていった。だがタイは、バンコクが先行して崖から飛び降り、地方がそれを猛スピードで追いかけている。
「仕送りがあるから大丈夫」
「子供が面倒を見てくれる」
そんな甘い幻想は、チャオプラヤー川の濁流に流してしまったほうがいい。

バンコクで生きるなら、親の老後も自分の老後も、一銭の仕送りも期待せずに設計することだ。地方に実家があるのなら、そこが10年以内に「誰も帰らない廃屋」になる覚悟を決めておくがいい。

結局のところ、頼れるのは自分の冷徹な計算と、わずかな貯えだけだ。
「微笑みの国」の仮面の下で、私たちは孤独に老いていく準備を始めなきゃならん。
まあ、せいぜい独りで上手く生き抜く術を探すことですね。

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