![]()

またぞろ、チョンブリーで無許可クラブが摘発されたって話だ。ニュースを見て「またか」と鼻で笑ったあんた、おめでとう。あんたは立派な「タイの裏側」の住人だ。逆に、驚いて正義感に燃えちまったおめでたい御仁がいるなら、悪いことは言わねえ、今のうちにパッキングして清潔で退屈な母国へ帰りな。ここは、清流じゃあ生きていけない不器用な魚たちが、濁った水の中で必死に踊る街なんだから。
そもそも、タイで「清廉潔白に夜の商売を始める」なんてのは、砂漠で雪だるまを作るような無理筋な話だ。警察、税務署、保健所に消防、さらには地方自治体の役人ども。ありとあらゆる窓口に頭を下げ、山のような書類と、それ以上に分厚い「手数料」を用意しなきゃならない。アルコール、営業時間、騒音、防火設備。ルールを全部守ろうとすれば、店を開ける前に軍資金が底をつく。だから、街の8割から9割の店が、何かしら「脛に傷を持つ」状態で営業している。これがこの国の、笑えないスタンダードなのだ。
「法を守ったら商売にならない」。
そんな悲鳴が、夜の帳が下りる頃に酒場の裏口から聞こえてきます。特にパタヤやチョンブリーみたいな、欲望と外貨が渦巻く場所では、法律の更新速度なんてカタツムリより遅い。そこにコロナ明けの「取り返してやろう」という焦燥と、タイ人名義を借りた外国人経営者の思惑が絡み合う。当局も、普段は薄目で見逃しているくせに、上から号令がかかった時だけ、急に「正義の味方」の面をして踏み込んでくる。実に現金なものですよね。
ここで避けて通れないのが、「茶封筒」の魔力だ。ある調査によれば、一つの店が10近い機関に毎月「お供え物」を捧げているケースもあるという。正式な税金を払うより、裏口から「見逃し料」を渡す方が、経営者にとっては安上がりで現実的な選択肢になってしまう。この歪んだコスト感覚が、真面目に許可を取ろうとする事業者を馬鹿らしくさせ、結果として国の税収をドブに捨てている。皮肉な話だ。
だが、これを単なる「腐敗」と切り捨てるのは、少しばかり情緒が足りない。タイの「マイペンライ(気にしない)」や「柔軟性」という美徳は、ルールの隙間を埋めるクッションでもあるのだ。もし明日から全ての法を厳格に適用してみろ。経済は心肺停止に陥り、街からは音楽が消え、あんたの大好きな「あの緩い空気」も一瞬で霧散するだろう。当局も、それを分かっているからこそ、ほどほどに目を細めてきた。この「なあなあ」のバランスこそが、微笑みの国の生命維持装置だったのです。
本質を突き詰めれば、タイの魅力である「ゆとり」は、ルールの曖昧さと表裏一体だ。観光客の財布を狙いつつ、表向きの治安も守りたい。そんな矛盾したジレンマの中で、地元の親父も外国人の投資家も「とりあえずやってみて、バレたらその時考えよう」という刹那的な文化を育んできた。危うい綱渡りだが、その危うさこそが、人を惹きつけてやまない毒にもなる。
あんたはどう思う?
「不透明なルールは一掃すべきだ」と拳を振り上げるか。それとも「これこそがタイの醍醐味だ」と、ぬるいビールを飲み干すか。俺に言わせれば、完璧な正義なんてものは、この熱帯の湿気の中ではすぐにカビが生えちまう。複雑すぎる法律が腐敗を育てる土壌なら、まずはその土壌をひっくり返すのが先決だが、そう簡単にいかないのがこの世の常だ。
チョンブリーの摘発騒動は、タイの夜が抱える深い病巣を映し出す鏡のようなものだ。改革が進んでクリーンな街になるのか、それとも一時の嵐が過ぎ去るのを待って、また元の濁った日常に戻るのか。まあ、期待せずに見守るのが、この街で長生きするコツってやつだ。
結局のところ、この矛盾だらけの街で生き抜く術は、清濁併せ呑む覚悟を持つことだ。
正義に酔わず、悪に染まりきらず、適度な距離でこのカオスを愛でる。それができなきゃ、タイの夜はあんたを食い尽くすだろう。




コメント