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【警告】日本の大学は「お花畑」か? 善意という名の毒に侵された留学生ビジネスの末路
バンコクの湿った夜風に吹かれながら、スクンビットの安酒場で薄いビールを啜っていると、ふと思うことがあるんです。この街には「偽物」が溢れているけれど、誰もそれを本物だと思って買っちゃいない。騙す方も騙される方も、どこか冷めた合意の上で踊っている。
ところが、海を隔てた我が母国、日本の最高学府様たちはどうだ。
「国際交流」という、いかにも耳当たりのいい、昭和の観光ポスターみたいな看板を掲げて、中身がガラ空きの偽物を「聖域」だと思い込んでいる。
いいですか、あんた。
今の日本の大学は、平和と善意、そして救いようのない「思考停止」がブレンドされた、最高にタチの悪いカクテルを飲んで酔っ払っている。世界がとっくに「学術という名の戦場」に様変わりしているというのに、彼らだけが丸腰で、パンツ一丁で、お花畑をスキップしている。
その無防備さが、どれほど致命的な健康被害を日本という国家に及ぼすか。
今日は少し、冷めた話をしようじゃないか。
■ 「個人」が存在しない国から来る、不自由な羊たち
日本の大学は、留学生を「個人」として扱う。
それ自体は、まあ、リベラルで高尚な精神に見えるでしょう。
だが、その前提がそもそも破綻しているのだ。
相手の国において「個人」がどう定義されているか。
そこを無視して、自分たちの価値観を押し付けている。
それは単なる、傲慢な無知というものだ。
例えば、お隣の巨大な隣国を。
あそこでは、個人は国家の外側に独立して存在することなど許されない。国家安全法、国家情報法。これらは海外にいる国民にも、容赦なくその触手を伸ばす。
家族は国内にいる。SNSは常に当局の検閲下にある。
留学生組織は、学問のためではなく、政治的な役割を果たすために機能する。
つまり、彼らは「個人として完全に自由」ではない。
たとえ本人が「日本のサブカルが好きなんです」と無邪気に笑っていても、その背後には常に国家の影が張り付いている。
これは差別でも何でもない。
ただの「制度」の話だ。
あちらさんのルールは、そうなっている。
それなのに、日本の大学教授たちは「彼はいい子だから」と、まるで近所の孫を見るような目で、機密情報の鍵を渡してしまう。
バカも休み休み言え、という話ですよ。
■ 技術流出は「悪意」ではなく「構造」で起きる
日本の大学は、研究室を開放しすぎている。
共同研究、最先端のデータ、高価な実験設備、サーバーへのアクセス権。
「国際化」という免罪符さえあれば、これらがほぼ無条件で提供される。
だが、あの国には「軍民融合」という、極めて効率的で冷徹な国家戦略がある。
民間の研究はすべて軍事に統合され、学術的な成果はそのまま国家の牙を研ぐために使われる。
ここに「スパイ映画のような悪意」なんて必要ない。
必要なのは「制度」と「構造」だけ。
研究室のパソコンからデータを持ち帰る。
帰国後にその知見を報告する。
それだけで、日本の税金で培われた技術が、そのまま他国のミサイルの精度を上げるために使われる。
本人はただ、祖国のために「義務」を果たしただけ。
誰も悪くない。
悪いのは、この構造を理解しようともせず、セキュリティを「面倒な手続き」として切り捨ててきた、日本の大学の脆弱すぎる危機意識だ。
健康診断も受けずに暴飲暴食を繰り返し、「自分は健康だ」と言い張っているデブな中年男。
それが今の、日本の大学の姿だったのです。
■ 統一戦線という「静かなる侵食」
中国の工作は、派手な爆破事件なんて起こさない。
もっと静かで、もっと日常的で、もっと見えにくい。
まるでバンコクの路地裏にいつの間にか増えている野良犬のように、気づいた時には包囲されている。
留学生組織、文化団体、学術ネットワーク。
これらを通じて、「中国に不利な言論」をじわじわと消していく。
「あいつは差別主義者だ」というレッテルを貼って、まともな議論を封殺する。
日本の大学は、これを「多文化共生」だと思って歓迎している。
滑稽だとは思わないか。
自由を守るはずの場所が、自由を奪うための装置に場所を提供している。
なぜ大学はこれほどまでに腰が引けているのか。
理由は簡単。
金と面子だ。
日本の大学は、留学生の数と世界大学ランキングという、実体のない数字に依存しきっている。
中国との関係を切れば、ランキングは落ちる。授業料収入は減る。
だからリスク評価を避ける。
だから問題を見て見ぬふりをする。
教授が正論を吐こうものなら、事務方は「国際化に逆行する」と顔を青くして止める。
自分で自分の首を絞めながら、笑顔で「国際交流」と叫んでいる。
これ以上の喜劇が、他にあるだろうか。
■ それでも、この泥沼を生き抜く術
じゃあ、どうすればいいのか。
鎖国でもするか。
いや、そんな極端な話じゃない。
答えはシンプルだ。
「個人の自由が通用しない国から来る相手を、完全に自由な個人として扱わないこと」
これに尽きる。
これは排除ではない。
「制度の違い」を認め、それ相応の「管理」をするという、大人の付き合い方の話だ。
欧米の大学は、とっくに泥をかぶってこれを始めている。
研究セキュリティ部門を設置し、共同研究のリスクを冷徹に評価し、不透明な資金の流れを遮断する。
日本だけが、いまだに「そんなこと言ったら角が立つ」と、昭和の古い価値観にしがみついている。
いい加減、目を覚ましたらどうだ。
あんたも、俺も、この矛盾だらけの世界で生きていかなきゃならない。
綺麗事だけで腹は膨れないし、善意だけで国は守れない。
一番の毒は、悪意ではなく「無知」と「無関心」なのだ。
大学が守れないなら、その先にある国家も守れない。
これはビターな現実だが、受け入れるしかない。
せめて、自分がどの泥沼に浸かっているかくらいは、自覚しておこうじゃないか。




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