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2011年の歴史的な大洪水の教訓が十分活かされていないタイ社会
洪水は「自然の宿命」か、それとも「制度の怠慢」か
タイに暮らす人々にとって、洪水はもはや季節の風物詩に近い。雨季になると必ずどこかで冠水が起こり、ニュース映像には水に浸かった道路や住宅が映し出される。だが、2011年に発生した歴史的な大洪水を経験した社会にとって、洪水は単なる自然現象ではなく「制度の怠慢が招く人災」として捉えるべきものだろう。
あの時の教訓は十分に活かされているのか――この問いは、タイ社会の構造的な脆弱性を映し出す鏡である。
2011年大洪水の衝撃
2011年の大洪水は、チャオプラヤー川流域を中心に数か月にわたり続き、バンコクの北部や工業団地を広範囲に浸水させた。被害は甚大で、GDPの約10%に相当する経済損失が発生し、世界的なサプライチェーンが混乱した。
日本企業も多数操業停止に追い込まれ、タイに進出する外資系企業にとって「洪水リスク」は現実のものとなった。
この災害から得られた教訓は明確だった。
- ダム操作の透明性を高め、放水判断を迅速化すること。
- 都市排水インフラを拡充し、浸水想定区域の土地利用を規制すること。
- 工業団地の立地を見直し、堤防や防水壁を強化すること。
- 政府・自治体・軍・企業が統合的に水管理を行う体制を構築すること。
だが、これらの教訓は制度化されず、部分的な改善にとどまった。
教訓が活かされていない現実
第一に、ダム操作の不透明さは依然として残っている。プーミポンダムやシリキットダムの放水は政治的圧力や利害調整に左右され、豪雨時には判断が遅れることがある。2011年の「放水の遅れ」が被害を拡大させたにもかかわらず、透明性確保は十分に進んでいない。
第二に、都市排水インフラの不足。バンコクは地盤沈下と都市化によって排水能力が限界に達している。新たな排水路やポンプ場は整備されたが、都市拡張のスピードに追いつかず、毎年のように冠水が繰り返される。洪水は「例外」ではなく「恒常的な都市問題」と化している。
第三に、工業団地の立地リスク。2011年には7つの工業団地が浸水し、世界的な製造業に打撃を与えた。堤防は強化されたものの、依然として低地に集中しており、再発リスクは残る。企業は「洪水保険」や「BCP(事業継続計画)」で対応するが、根本的な土地利用の見直しは進んでいない。
第四に、政治的対立による意思決定の遅れ。洪水対応をめぐり政府と地方自治体、軍、企業の間で責任の押し付け合いが起きる構造は今も変わらない。統合的な水管理体制は理念として掲げられているが、実際には危機時に調整が遅れる傾向が続いている。
なぜ教訓が制度化されないのか
理由は三つある。
- 政治的短期主義:洪水対策は長期的投資を必要とするが、選挙や経済成長を優先する政策に押し流される。
- 社会的記憶の風化:2011年の被害は甚大だったが、時間が経つにつれ危機感が薄れ、再発防止への持続的な圧力が弱まっている。
- 都市化の加速:農地や湿地が宅地や工業地に転換され、自然の「水の逃げ場」が失われている。制度的な規制が追いつかないまま都市が拡張している。
洪水を「制度的リスク」として捉える視点
洪水は自然現象である。しかし、被害が繰り返されるのは人間の選択の結果でもある。都市計画、土地利用、政治的意思決定――これらが制度的に改善されない限り、洪水は「宿命」として繰り返される。つまり、洪水は「気候リスク」であると同時に「制度的リスク」なのだ。
日本人にとって重要なのは、タイ社会を理解する際に洪水を「自然の宿命」として片付けないことだ。むしろ、制度的な怠慢や都市計画の選択が被害を悪化させているという視点を持つことで、タイ社会のリアリズムが見えてくる。
結論――教訓を「記録」から「制度」へ
2011年の大洪水は、タイ社会にとって歴史的な転機だった。しかし、その教訓は「記録」されても「制度化」されていない。洪水被害が無くならないのは、自然のせいではなく、制度の怠慢のせいだ。
洪水を「宿命」として受け入れるのではなく、「制度的リスク」として直視すること――それこそが、タイ社会が次の大洪水を防ぐために必要な視点である。

2011年の洪水の時ですが、我が事務所兼自宅付近は洪水にならなかった幸運な区域でした。しかし、NHKなどの報道機関等ではバンコク全域が洪水のような事実と違う報道をされてビジネスに悪い影響が出たことをいまでも忘れていません。それ以来報道を信じることはできなくなりました。結果として裏を取るクセが付いて多角的視線を持てた事は幸いでした。


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