寺院前で抹茶アイス。なぜそれは「善意」で済まなかったのか

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寺院前で抹茶アイス。なぜそれは「善意」で済まなかったのか

抹茶の芳香、手錠の冷感――チェンマイ寺院前に散った「甘くない」夢の跡

やれやれ、これだからタイの太陽は、時に眩しすぎて目が眩む。

チェンマイの古刹、ヤン・クワン寺院。その静謐な門前で、一人の日本人が手作り抹茶アイスを売っていたという。名前はジュンイチ、39歳。タイ人の伴侶を愛し、住職の慈悲で場所を借り、丹精込めて茶を点てる。なんとも「徳が高い」美談じゃないか。だが、物語の結末は、抹茶の粉末よりもずっと喉に苦いものだった。

2026年1月15日。彼を待っていたのは、行列を作る客ではなく、無機質な制服を着た入管当局の役人たちだった。

成功という名の「墓穴」を掘るSNSの皮肉

この騒動、何が一番「傑作」かって、彼をどん底に突き落としたのが、他ならぬ「圧倒的な成功」だったことだ。

ジュンイチ氏の作る抹茶アイスは、本物だった。着色料まみれの安物ではない、日本の伝統が息づく深い緑。それがタイのフードブロガーたちの目に留まり、SNSという名の荒野を野火のように駆け抜けた。「チェンマイの寺院前に、奇跡の味がある」と。

皮肉なもんだよ。現代において、商売の成功は「可視化」されることと同義だ。しかし、タイという国で外国人が「目立つ」ということは、当局の集金システム……おっと失敬、法執行のレーダーに真っ赤な信号を灯すことでもある。SNSの「いいね」が積み重なるほどに、彼の足元では強制送還という名のカウントダウンが始まっていたわけだ。

「配偶者ビザ」という甘い罠と、労働許可証の壁

ここで、知った風な顔をした連中はこう宣うだろう。「ルールを守らないのが悪い」と。

確かに、彼は「Non-Immigrant O(配偶者ビザ)」という、滞在には問題ないが就労には別のハードルがある中途半端な身分だった。タイの法律は、外国人に対しては実に厳格だ。たとえ妻がタイ人でも、たとえ住職が「ここでやりなさい」と仏の微笑みを見せても、「労働許可証(ワークパーミット)」という紙切れ一枚がなければ、それは「不法就労」という犯罪に成り下がる。

罰金5万バーツ、強制送還、そして2年間の入国禁止。
夢の代償としては、いささかスパイスが効きすぎているとは思わないか?

一方で、バンコクの裏通りを歩けば、もっと巨大で、もっと真っ黒な違法ビジネスが、役人と握手しながらのうのうと肥え太っている。そんな現実は、誰もが「見て見ぬふり」をするのがこの国のマナーだ。なのに、寺の前で健気にアイスを練っていた日本人一人が、これほどまでに見せしめのように叩かれる。

この「不条理のコントラスト」こそが、タイという曼荼羅の真髄であり、我々のような流れ者が常に喉元に突きつけられているナイフの冷たさなんだ。

抹茶の苦味を噛み締めて、それでもこの街で呼吸する

さて、あんたはこの話を「自業自得」だと切り捨てるかい? それとも「運が悪かった」と憐れむかい?

盤谷爺(ばんこくじじい)として言わせてもらえば、これは我々全員への「警告」だ。タイで生きるということは、この「いつ梯子を外されるかわからない浮遊感」を楽しむことに他ならない。

ジュンイチ氏の抹茶アイスは、間違いなく美味かったんだろう。だが、彼は「美味しすぎた」し、「誠実すぎた」。この国で長く息を吸いたければ、時には自分の影を薄くし、成功の香りを風に流す狡猾さが必要だったのかもしれない。

それでも、私は思う。
法の網に捕まった彼の抹茶アイスの味は、行列に並んだタイ人たちの記憶には、どんな高級店のデザートよりも鮮烈に残ったはずだ。一瞬の輝きと、その後に訪れる無慈悲な暗転。これこそが人生の、そしてこの国の、抗いがたい「醍醐味」というやつじゃないか。

生き残るための「教訓」をひとつ

これからタイで何かを始めようという御仁、あるいは既にここで泥を啜っているあんた。
覚えておきな。

  1. 「仏の顔も三度まで」だが、役人の顔は一度だって拝まないに越したことはない。
  2. SNSの拡散力は、時に味方ではなく「刺客」になる。
  3. そして何より、抹茶は苦いからこそ、後味が引き立つんだ。

ジュンイチ氏がいつか、この苦い経験を「隠し味」に変えて、どこかでまた最高のアイスを練り始めることを、私は密かに願っている。もちろん、今度は万全の書類を揃えて、当局の連中に皮肉たっぷりの笑顔でアイスを差し出せるくらいになって、な。

人生は、甘くないからこそ面白い。
……おっと、氷が溶けて、俺の安物の酒が薄まっちまった。

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