ジョーク(โจ๊ก)とカオトム(ข้าวต้ม)の違いを歴史的視点から見てみた

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朝のバンコクを歩けば、屋台から漂ってくる湯気の向こうに、二つの「米を煮た料理」が並んでいるのに気づく。ひとつはとろりとした白い粥、豚団子や生姜がのったジョーク(โจ๊ก)。
もうひとつは、さらりとしたスープに米粒が泳ぐカオトム(ข้าวต้ม)。どちらも「米を水で煮ただけ」なのに、歴史をたどるとまるで別の物語を背負っている。ここでは、その違いを少し皮肉まじりに眺めてみたい。

🌾 起源と歴史的背景

  • カオトム(ข้าวต้ม)
    • タイ在来の米食文化に基づく料理。
    • 古代から「米を水で柔らかく煮る」調理法は、消化しやすく病人食や僧侶への供物としても用いられた。
    • 特に稲作社会のタイでは、余った米を水で煮直すことで保存性と食べやすさを高める実用的な知恵だった。
    • 塩漬け魚や発酵食品と合わせて食べる習慣があり、庶民的で日常的な朝食として定着。
  • ジョーク(โจ๊ก)
    • 語源は広東語の「粥(juk)」で、中国南部からの移民によってタイに伝来
    • タイにおけるジョークは、米を長時間煮崩して「とろみ」を出す点が特徴。
    • 19世紀以降、バンコクの華人コミュニティを中心に広まり、豚肉団子・生卵・生姜・揚げパン(パートンコー)などを添えるスタイルが定着。
    • 現在は都市部の朝食文化として強く根付いている。

🍲 食文化における役割の違い

項目カオトム(ข้าวต้ม)ジョーク(โจ๊ก)
起源タイ在来の稲作文化中国系移民(広東・潮州)
調理法米粒を残して柔らかく煮る米を煮崩して粘度を出す
食べ方塩漬け魚、発酵食品、惣菜と一緒に豚団子、生卵、生姜、揚げパン
社会的意味農村・家庭的・供物都市・華人文化・商業的
時代的広がり古代から続く伝統19世紀以降に普及

🌾 カオトム ― 稲作社会の素朴な知恵

カオトムは、タイの稲作文化に根ざした料理だ。余ったご飯を水で煮直し、柔らかくして食べる。病人食にもなれば、僧侶への供物にもなる。つまり「特別な料理」というよりは、米を無駄にしないための生活の知恵だった。
塩漬け魚や発酵食品と一緒に食べるのが定番で、農村の朝には欠かせない。言ってしまえば「おかずが主役、カオトムは脇役」。それでも、胃にやさしい安心感は、どこか「田舎の朝」の象徴のようでもある。

🍲 ジョーク ― 華人移民がもたらした都市の味

一方のジョークは、中国南部からやってきた移民が持ち込んだ粥文化の変奏だ。広東語の「juk」が語源で、タイ語に転じて「โจ๊ก」となった。
米を長時間煮崩し、とろみを出すのが特徴。豚団子、生卵、刻み生姜、そして揚げパン(パートンコー)を添えると、もはや「庶民の朝食セット」として完成する。
19世紀以降、バンコクの華人コミュニティを中心に広まり、今では都市の朝を象徴する料理になった。つまり、ジョークは「移民の知恵と商業的センスが融合した結果」なのだ。

🕰 歴史的コントラスト

両者を並べると、歴史的な背景がくっきりと浮かび上がる。

  • カオトム:稲作社会の副産物。農村的で家庭的。供物や病人食にもなる。
  • ジョーク:華人移民の都市文化。商業的で洗練。屋台で売られ、トッピング文化が発展。

同じ「米を煮る」行為でも、社会的意味はまるで違う。カオトムは「余り物を活かす知恵」、ジョークは「商品として磨かれた粥」。この差は、タイ社会における農村と都市、在来文化と移民文化の対比そのものだ。

😏 アイロニーを少し

面白いのは、どちらも「庶民の朝食」と呼ばれるのに、そこに漂うニュアンスが違うことだ。

  • カオトムを食べるとき、人は「健康的で素朴」と言う。
  • ジョークを食べるとき、人は「手軽でおいしい」と言う。

要するに、素朴さは美徳として語られるが、商業的な便利さは快楽として語られる。どちらも庶民的なのに、評価のされ方が違うのは皮肉だ。

さらに言えば、カオトムは「おかずがなければ成立しない」料理だが、ジョークは「それ単体で完結する」。この違いは、まるで「自給自足の農村」と「市場経済の都市」の縮図のようでもある。

🍚 現代の風景

現代のタイでは、両者は共存している。

  • 深夜、飲み明けの人々がカオトムをすすり、胃を休める。
  • 早朝、出勤前の人々がジョークを屋台で買い、片手で食べる。

つまり、カオトムは「回復の食」、ジョークは「始動の食」。役割分担までできているのだから、歴史の積み重ねは実にしたたかだ。

✍️ まとめ

ジョークとカオトムは、どちらも「米を煮ただけ」の料理にすぎない。だが、その背後には、稲作社会の知恵と華人移民の商業文化という二つの歴史が重なっている。
カオトムは「田舎の朝」、ジョークは「都市の朝」。同じ湯気の向こうに、異なる歴史が立ちのぼっているのだ。

そして私たちは今日も、屋台の前で「どっちにしようかな」と迷う。だがその迷いこそが、タイ社会の歴史的多層性を映しているのかもしれない。

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