連載記事:既得権者ほど改革を語る——日本とタイの“守られた人たち” 第1回

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第1回 その改革、誰の椅子を守るためですか

「改革が必要です」

この言葉を聞くと、私は少し身構えてしまう。

もちろん、改革そのものが悪いわけではない。古い制度を直す。無駄を減らす。若い人に機会を渡す。時代に合わないルールを変える。

言葉だけ見れば、実に立派である。

問題は、その改革を語っている人が、たいてい一番変わらなくていい場所に座っていることだ。

若者の意見を聞きましょう。女性にも活躍してもらいましょう。地方にもチャンスを。外国人材も受け入れましょう。

そう言いながら、自分の座っている椅子だけは動かさない。
しかも、その椅子は床にボルトで打ち込まれているのかと思うほど、びくともしない。

改革を語る人ほど、自分の椅子は動かさない。
ここに、既得権のいやらしさがある。

「既得権」と聞くと、政治家、大企業、役所、業界団体のような大きな存在を思い浮かべる人が多い。

もちろん、それもある。

だが既得権は、もっと日常的な場所にもある。
会社の古株。町内会の顔役。親族内の年長者。外国人社会の先住者。業界の古参。情報を握っている人。紹介ルートを持っている人。

彼らは必ずしも悪人ではない。むしろ、面倒見がよく、親切で、昔は苦労した人も多い。

だから厄介なのだ。

既得権の多くは、悪意ではなく「慣れ」でできている。
自分の発言が通りやすいことに慣れる。
周囲が気を使ってくれることに慣れる。
自分だけが事情を知っていることに慣れる。

そして、その状態をいつの間にか「普通」と呼び始める。

日本では、この既得権が空気に隠れる。

「前例がありますから」
「急に変えるのは難しいですね」
「関係各所との調整が必要です」
「現場が混乱します」
「まずは慎重に議論しましょう」

出た~。

慎重に議論しましょう。

この言葉が出た瞬間、話は冷蔵庫の奥にしまわれたタッパーのようになる。誰も捨てたとは言わない。ただ、いつの間にか存在を忘れられる。

日本型の既得権は、誰かが強く命令しているように見えない。
空気が決める。前例が止める。慣例が守る。年齢が重くなる。肩書きがものを言う。

だから、変えようとする人だけが浮く。

「空気が読めない人」
「急ぎすぎる人」
「現実が見えていない人」

そう言われる。

だが、その“現実”とは何か。
多くの場合、それは今の席順のことである。

一方、タイの既得権はもう少し人間くさい。
法律もある。ルールもある。手続きもある。だが、その上に人間関係が乗る。

誰を知っているか。誰に紹介されたか。誰の顔を立てる必要があるか。誰に恥をかかせてはいけないか。

日本人はタイを「ゆるい国」と見がちだ。
たしかに、表面上はゆるく見える。マイペンライ。サバイサバイ。細かいことは気にしない。

だが、その奥にははっきりした階層感覚がある。

年齢、家柄、学歴、職業、財力、人脈、役職。そして、誰の後ろに誰がいるか。

タイでは、真正面から「あなたは下です」とは言わない。その代わり、席の位置、紹介のされ方、待たされる時間、返事の温度、笑顔の硬さで、なんとなく分かる。

自由なのではない。
見えない線があるだけだ。

日本でもタイでも、既得権者はよく改革を語る。
古い人ほど「若者の力が必要だ」と言う。
でも、若者に決定権は渡さない。

男性中心の組織ほど「女性活躍が大事だ」と言う。
でも、女性には責任ばかり渡して、権限は渡さない。

中央にいる人ほど「地方の時代だ」と言う。
でも、お金と決定権は中央に残す。

改革という言葉は、本来なら椅子を動かすための言葉である。
ところが現実には、椅子に新しいカバーをかけるために使われることがある。

座っている人は同じ。位置も同じ。ただ、見た目だけ少し今風になる。

それを改革と呼ぶ。

なかなかの芸である。

守られている人ほど、自分が守られているとは思っていない。
「自分も苦労してきた」
「努力してここまで来た」
「昔はもっと大変だった」

その言い分にも一理ある。

昔の苦労を否定するつもりはない。努力していないとも言わない。
ただ、努力してきたことと、今の椅子が固定されていることは別の話だ。
過去に苦労した人が、現在の構造で得をしていないとは限らない。

「俺たちも苦労したんだから、お前たちも苦労しろ」

これは改革ではない。
苦労の再生産である。

在タイ日本人社会にも、小さな既得権はある。
日本を出たからといって、日本的な序列から自由になるわけではない。
むしろ外国人社会は狭い。狭い場所では、情報を持つ人が強くなる。紹介できる人が強くなる。昔からいる人が強くなる。

経験は価値である。

ただ、それがいつの間にか「俺の方が分かっている」という態度になると、少し臭ってくる。
在タイ歴マウント。昔のタイはよかった論。新しく来た人への上から目線。

本人はきっと、自分を既得権者だとは思っていない。

「親切に教えている」
「現実を教えている」

そんな感覚なのだろう。

だが、親切と支配欲は、たまに同じ服を着て出てくる。

改革を語るなら、まず見るべきものがある。
制度ではない。若者でもない。女性でもない。地方でもない。外国人でもない。

自分の椅子である。

自分はどこに座っているのか。その椅子は誰が用意したのか。自分より後から来た人は、同じ場所に座れるのか。

ここを見ない改革は、だいたい怪しい。
既得権は、いつも分かりやすい悪役の顔をしているわけではない。

笑顔で出てくる。丁寧な言葉で出てくる。伝統の顔で出てくる。秩序の顔で出てくる。そして、改革の顔で出てくる。

既得権者ほど改革を語る。

なぜなら、改革という言葉を先に握ってしまえば、自分が改革される側に回らずに済むからだ。

人間は、一度座った椅子からなかなか立ちたがらない。
しかも、その椅子が少し柔らかいと、なおさら立たない。

そして最後には、こう言う。

「私は普通に座っているだけです」

いやいや。

その普通が、いちばん強いんですよ。

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