連載記事:既得権者ほど改革を語る——日本とタイの“守られた人たち” 第3回

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第3回 タイの既得権は、なぜ“人間関係”の中で動くのか

日本の既得権は、空気に隠れる。
では、タイの既得権はどこに隠れるのか。

答えは、人間関係である。

ただし、日本人が考える「人脈」とは少し違う。名刺交換した相手、仕事で知り合った相手、飲み会で仲良くなった相手。もちろん、そういう関係もタイにはある。

だが、タイ社会で本当に効いてくる関係は、もう少し重い。
誰の紹介か。誰の顔を立てる必要があるか。誰の後ろに誰がいるか。その人に恥をかかせると、どこまで話が広がるか。

タイでは、ルールだけを見ていても社会の動きは読めない。
法律もある。手続きもある。書類もある。
だが、そのルールを誰がどう運用するかに、人間関係が入り込む。

日本人はここでよく戸惑う。
「ルールにはこう書いてあるのに、なぜそうなるのか」
それは、ルールの外側に、関係というもう一枚の布がかかっているからである。

タイに来た日本人の多くは、最初にその“ゆるさ”に救われる。
少し時間に遅れても、日本ほどギスギスしない。細かいことを詰めすぎない。笑顔で流してくれる。マイペンライと言ってくれる。

日本の会議、報告書、社内調整、空気読み、前例主義に疲れた人ほど、この柔らかさにホッとする。
それは分かる。
だが、そこで止まると、タイ理解は浅くなる。

タイはゆるい国ではない。ゆるく見せるのがうまい社会である。
笑顔で断られる。大丈夫と言われたのに何も進まない。
その場では受け入れられたように見えて、後から静かに距離を置かれる。

タイ社会は、怒鳴らなくても拒否できる。
対立しなくても排除できる。明文化しなくても序列を示せる。

このあたりが、日本人には見えにくい。
タイ社会には、はっきりした階層感覚がある。
年齢、家柄、学歴、職業、財力、役職、出身校、家族の背景。
そして、誰とつながっているか。

ただし、それをむき出しにはしない。
「あなたは下です」とは言わない。
そんな言い方は、むしろタイ的ではない。

代わりに、座る位置で分かる。
紹介のされ方で分かる。
待たされる時間で分かる。
返事の速さで分かる。
笑顔の硬さで分かる。

一見すると穏やかで、みんな仲良く見える。だが、よく見ると、誰が中心で、誰が周辺なのかはかなり明確である。

この階層感覚の中で、既得権は動く。
タイの既得権者は、大声で命令するとは限らない。むしろ、場を壊さずに流れを作る。

あの人には逆らわない方がいい。あの人の顔を潰してはいけない。
あの人の紹介なら断りにくい。あの人が言うなら、少し無理をしても通す。

日本では空気が権力になる。タイでは関係が権力になる。
もちろん、タイの「顔を立てる文化」がすべて悪いわけではない。
相手に恥をかかせない。人前で追い詰めない。関係を完全に壊さない。
これは社会を円滑にする知恵でもある。

日本人は、正論を言いすぎることがある。論破すれば問題が解決したと思いがちだ。だが、タイでは論破は勝利ではない。関係を壊す行為になりやすい。

だから、相手が間違っていても正面から否定しない。逃げ道を残す。柔らかく処理する。
この知恵があるから、社会が壊れずに回っている部分もある。

ただし、その知恵は既得権を守る装置にもなる。
上の人の顔を立てる。古い人の顔を立てる。紹介者の顔を立てる。家族の顔を立てる。組織の顔を立てる。
その結果、誰の顔も潰さないために、問題そのものが置き去りにされる。

日本では、問題があっても「空気」が止める。タイでは、問題があっても「関係」が止める。

たとえば、明らかに能力不足の人でも、有力者の紹介だったり、誰かの親戚だったり、長年の関係で守られていたりすると、簡単には外せない。
外せば、本人だけでなく、その後ろの関係まで傷つく。

だから、直接処理しない。
別のポジションに移す。
曖昧にする。
静かに距離を置く。
表向きは尊重する。
裏で別の人が実務を回す。

こうして、場は壊れない。
だが、問題は残る。

ここにタイ型既得権が生き残る。

タイでは、同じルールでも結果が違うことがある。書類が通る。通らない。追加書類を求められる。前回は駄目だったのに、今回は通る。担当者が変わったら話が変わる。

日本人から見れば理不尽である。

ただ、タイ社会の側から見ると、そこには「裁量」もある。事情を見る。相手を見る。関係を見る。現場で判断する。硬直した制度だけでは処理しない。
この柔軟さに助けられることもある。
しかし、柔軟さは裏返せば、不透明さでもある。

誰に柔軟なのか。
誰には厳格なのか。
誰の事情は見てもらえるのか。
誰の事情は無視されるのか。

ここに既得権が入り込む。
裁量がある社会では、強い関係を持つ人が有利になる。

タイでよく言われるコネも同じだ。日本人はコネと聞くと、不公平、えこひいき、裏口、ズルと考えがちである。もちろん、そういう面はある。
だが、タイではコネが信用の代わりとして機能することもある。

知らない人より、知っている人。
誰の紹介か分かる人。責任の所在が見える人。
何かあったときに話を戻せる人。

制度への信頼が十分でない社会では、人間関係が信用を補う。
ただし、コネが制度より強くなると、持っている人と持っていない人の差が固定される。

紹介される人は、さらに紹介される。
情報を持つ人には、さらに情報が集まる。
有力者とつながる人は、さらに有利になる。

一方で、関係を持たない人は、同じスタートラインに立てない。

これが既得権である。

タイの改革は、制度設計だけでは進まない。
その改革で、誰の顔が潰れるのか。誰の収入源が細るのか。誰の裁量が減るのか。誰の紹介ルートが弱くなるのか。

ここが問題になる。

日本では、改革は「空気を乱すかどうか」で止まりやすい。タイでは、改革は「誰の顔を潰すか」で止まりやすい。

だから改革は柔らかくなる。
曖昧になる。
表向きだけ進む。
実務ではあまり変わらない。

言葉としての改革は進む。
現場の力学は残る。
それでも、「やっぱりタイはコネ社会だ」と片づけるのは浅い。

日本にも同じ構造はある。日本はそれを空気と前例でやる。タイは関係と顔でやる。

道具が違うだけで、人間のやっていることはよく似ている。

自分の椅子を守りたい。自分の関係を壊したくない。自分の立場を失いたくない。自分が得をしている構造を、普通のこととして扱いたい。

これは、日本人にもタイ人にもある。

タイ社会で既得権を見るなら、制度だけを見てはいけない。
誰が誰に紹介されたのか。
誰が誰に気を使っているのか。
誰の名前が出ると空気が変わるのか。
誰の顔を潰さないために、話が曖昧になっているのか。

そこに既得権がある。

日本では、空気を読まないと動けない。
タイでは、関係を読まないと動けない。

どちらも疲れる。
ただ、疲れ方が違う。

改革を語るなら、タイでは制度だけを変えても足りない。
人間関係の力学に触れなければ、何も変わらない。
そして、その力学に触れることこそ、いちばん嫌がられる。

なぜなら、タイの既得権は人間関係の中に住んでいるからだ。
しかも、けっこう居心地よさそうに。

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