連載記事:既得権者ほど改革を語る——日本とタイの“守られた人たち” 第2回

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第2回 日本の既得権は、なぜ“空気”に隠れるのか

日本の既得権は、あまり大声を出さない。

ここが、ややこしい。

誰かが机を叩いて「俺たちの権益を守れ」と叫ぶわけではない。そんな分かりやすい悪役は、現実にはそれほど多くない。

むしろ日本の既得権は、もっと上品な顔をして出てくる。

「前例を踏まえて」
「関係者と調整して」
「現場の混乱を避けるために」
「慎重に議論しましょう」
「段階的に進めましょう」

出た。

段階的に進めましょう。

この言葉が出た瞬間、改革はだいたい畳の上に正座させられる。お茶も出る。話も聞いてもらえる。理解も示される。

ただ、なぜか何も進まない。

日本の既得権は、反対ではなく「保留」によって守られる。

何かを変えようとすると、まず会議が開かれる。会議のための資料が作られ、資料を確認する打ち合わせが行われ、その内容を共有するメールが飛ぶ。そして、そのメールの文面について、また軽く確認が入る。

この時点で、改革はすでにかなり疲れている。

それでも一応、議題には上がる。

「方向性としては賛成です」
「問題意識は共有しています」
「ただ、現場の負担も考える必要があります」
「他部署との調整が必要です」
「一度持ち帰らせてください」

持ち帰る。

日本の会議で、この言葉ほど便利なものはない。持ち帰ったものが、次回きちんと戻ってくるとは限らない。ときには、そのまま行方不明になる。

明確に反対すると角が立つ。だから、反対ではなく「確認」になる。拒否ではなく「調整」になる。中止ではなく「時期尚早」になる。

こうして、何かが止まる。

誰も止めた人はいない。でも、止まっている。
この「止めた人が見えない」ところに、日本型既得権の強さがある。

日本社会には「空気」という言葉がある。
空気を読む。空気が悪くなる。空気的に無理。空気を乱す。

便利な言葉だ。
だが、よく考えると、かなり怖い言葉でもある。空気には署名がない。責任者がいない。議事録にも残らない。誰が決めたのか分からない。

それなのに、人を動かす力がある。
どれほど合理的で、必要で、時代に合った案でも、空気が悪ければ通らない。逆に、誰も本気で良いと思っていない案でも、空気がそちらに流れれば通ってしまう。

日本の既得権は、この空気の中に隠れる。

「誰が反対しているんですか?」
そう聞いても、明確な名前は出てこない。

「いや、そういうことではなくて」
「全体のバランスを考えると」
「今それを言うと、ちょっと」

この「ちょっと」の中に、だいたい大きな椅子が隠れている。

前例もまた、既得権の隠れ場所である。

もちろん、前例がすべて悪いわけではない。前例には経験が詰まっている。失敗を避ける知恵もある。無駄な混乱を防ぐ役割もある。

問題は、前例が判断材料ではなく、判断そのものになってしまうことだ。

「前例がないのでできません」

この言葉は強い。

だが、冷静に考えると変である。前例がないからできない。では、最初の前例は誰が作ったのか。

最初にやった人がいるから、前例は生まれたはずである。ところが、いつの間にか前例は挑戦の記録ではなく、挑戦を止める盾になる。

古い制度。古い役職。古い業界慣行。古い人間関係。古い評価基準。古い席順。

それらが「前例」という名で守られる。

しかも、日本では前例に逆らう人の方が悪者になりやすい。

「なぜそんなに急ぐのか」
「なぜ波風を立てるのか」
「今までうまくやってきたのに」

この「今までうまくやってきた」という言葉も怪しい。
誰にとって、うまくやってきたのか。
そこを聞かないまま、前例は守られる。

日本の既得権者は、分かりやすく横暴とは限らない。むしろ丁寧である。物腰が柔らかい。話も聞く。若者にも優しい。女性活躍にも理解を示す。地方創生にも賛成する。

そして最後に、決定権だけは渡さない。

ここが本体である。

意見は聞く。会議にも呼ぶ。アンケートも取る。ワークショップも開く。報告書にも名前を載せる。

でも、最後に決める人はいつも同じ。

日本では、「参加できること」と「決められること」が別物になりやすい。若者支援も、女性活躍も、多様性も、ここを曖昧にしたまま語られることがある。
若者の声を聞いた。女性を登用した。外部の意見を取り入れた。
たしかに、形は整っている。

だが、予算は誰が握っているのか。人事は誰が決めているのか。最終判断はどこにあるのか。

そこを見ない改革は、だいたい怪しい。
日本の既得権が厄介なのは、善意の顔をしていることだ。

混乱させたくない。現場に無理をさせたくない。みんなが納得できる形にしたい。
どれも悪い言葉ではない。むしろ、日本社会が大きな破綻を避けてきた理由でもある。

ただし、その善意が、いつの間にか既得権を守る毛布になる。

寒い人に毛布をかけるのではない。すでに暖房の効いた部屋にいる人に、さらに毛布をかける。

そして、外で震えている人にはこう言う。

「もう少し待ってください」
「今、調整しています」
「段階的に進めます」

段階的に。

本当に便利な言葉である。
日本で改革を語るなら、制度だけを見ていてはいけない。
空気を見る必要がある。

誰が発言しやすいのか。誰の発言は流されるのか。誰が最後に決めているのか。誰が会議には呼ばれるが、決定には関われないのか。誰の都合は「現実」と呼ばれ、誰の不満は「わがまま」と呼ばれるのか。

そこに既得権がある。

日本では、改革を止めるために反対する必要はない。
賛成しながら、止めればいい。

前向きに検討する。関係者と調整する。段階的に進める。時期を見て判断する。
この四つが揃ったら、改革はたいてい布団に入る。そして、翌朝になっても起きてこない。

改革とは、資料の言葉を新しくすることではない。
椅子の位置を変えることである。
それをやらない改革は、ただの模様替えだ。
しかも、座っている人だけが快適な模様替えである。

なかなか日本らしい。
そして、なかなか手強い。

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