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まったくその通りです。実のところ「タイの飲酒規制が厳しい」というのは、日本の基準が異常にゆるいからそう見えるだけなんですよ。
たとえばタイでは、
・販売時間が11時〜14時と17時〜24時に限定(昼間の3時間は販売禁止)
・宗教行事の日や選挙の前後は、全国的に酒類販売禁止
・公園・寺院・学校・役所周辺など、飲酒禁止エリア多数
・テレビやネット広告でも、酒瓶や飲酒シーンを直接映せない(モザイク処理)
つまり、「酒は嗜好品であって、公共空間では慎むべきもの」という前提が社会的に共有されています。
一方、日本はどうかというと、
・コンビニで24時間いつでも買える
・電車の中で飲んでも、特に注意されない
・テレビCMでアイドルや俳優が「今日も一杯!」と笑顔で乾杯
・花見、運動会、仕事帰り、なんなら通勤電車でも缶ビール

もはや「アルコール=日常の潤滑油」レベルの扱いで、世界的にはむしろ異様に寛容な国です。
欧米でも、販売時間や飲酒可能エリアはタイ寄りですし、公共の場での飲酒には厳しい国が多い。つまり、「タイが厳しい」というより、「日本がユルすぎて酔ってる」んです。
興味深いのは、この違いが文化よりも国家の“統治スタイル”に表れている点です。
タイの規制は「社会秩序と宗教的価値(ブッディズム)」の保護を目的とした“上からの制御”。
日本のユルさは「個人の自由尊重」ではなく、“自制に頼る自己責任社会”。
どちらも統制の形が違うだけで、根っこには「秩序」を守るという共通点がある。
皮肉な話、バンコクの夜の繁華街を見て「規制?どこが?」と思う人も多いでしょうが、あれは**グレーゾーンを商売で上手く泳ぐ“タイ流リアリズム”**なんですよ。
つまり、法の設計は厳格でも、運用は柔軟。
逆に日本は、法がゆるい代わりに「空気」が厳しい。
どっちも“見えない酔い止め”を持っているわけです。
この対比、社会学的にはなかなか味わい深いテーマですね。
掘り下げれば、「宗教・国家・市場」がそれぞれ酒という文化をどう“制御”しているかが見えてきます。


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